セレッソ大阪の下部組織で経験を積み、U-16日本代表としてAFC U-16選手権出場、U-17W杯(インド)にもスタメンで出場と、第一線で活躍している真っ最中に長崎総合科学大附属高に移って周囲を驚かせた鈴木冬一(すずき・といち)選手。
はたから見れば「そのまま続けてればプロでやっていけるのに…」と思われる状況だったのかも知れませんが、鈴木冬一選手は冷静に自分を見つめていました。
第一線で華々しく活躍していた鈴木冬一選手が感じていたこと、そしてプロから高校サッカーへの移籍を決断させたこととは、一体何だったのでしょう?
プロフィールや経歴とともに見ていきましょう。
出典:ゲキサカ
鈴木 冬一選手のプロフィール
出典:湘南ベルマーレHP
名前 鈴木 冬一(すずき といち)
出身地 大阪府東大阪市
生年月日 2000年5月30日
身長/体重 165cm/61kg
血液型 A型
利き足 右
スパイク アディダス エックス18.1
ポジション DF(ディフェンダー)※今大会
背番号 15
所属チーム 湘南ベルマーレ
鈴木 冬一選手も2000年生まれの00世代、いわゆるミレニアム世代と言われる黄金世代です。
身長は165cm、体重61kgと、最近のサッカー選手にしては決して大きくはありませんが、その分スピードという最大の武器があります。
小柄な分、フィジカルの強さ安定感にも定評があります。
そして大阪出身ですから、セレッソ大阪の下部組織に入ったのはごく自然な流れですよね。
それが長崎に行き、今では湘南です。
鈴木 冬一選手が何を思っていたのか?経歴を見てみましょう。
鈴木 冬一選手のサッカー履歴
出典:ゲキサカ
セレッソ大阪U-12
セレッソ大阪U-15
セレッソ大阪U-18
セレッソ大阪(2種登録) 2017年7月~2018年3月
長崎総合科学大学附属高等学校
湘南ベルマーレ 2019年~
鈴木 冬一選手の日本代表歴
U-15日本代表
AFC U-16選手権2016・予選(2015年)
バル・ド・マルヌ U-16国際親善トーナメント(2015年)U-16日本代表
International Youth (U-17) Four Countries Football Tournament(2016年)
AFC U-16選手権2016(2016年)U-17日本代表
国際ユースサッカーin新潟(2017年)
2017 FIFA U-17ワールドカップ(2017年)U-18日本代表
第24回リスボン国際トーナメントU-18(2018年)U-20日本代表
欧州遠征(2019年)
FIFA U-20ワールドカップ(2019年)
出典:Wikipedia
ドコからどう見ても素晴らしい活躍ぶりだと思うのですが、どんな選手にも壁はやってくるものですよね。
第一線で活躍し、順風満帆に見えた鈴木冬一選手ですが、当時のインタビューに「正直、代表で同じチームメイトや、イングランドなど世界トップの選手の力を見て、自分が技術的にも精神的にも遅れていると感じた」と答えていました。
それは現在のU-20日本代表の選手も同じで、「自分はこのままでいいのだろうか?」「他の同世代の人より劣っているのではないだろうか?」といった苦悩を抱えてていた人は多くいましたね。
どんなに努力しても結果を出しても、周りは自分より優れているように見えてしまう…これはとても苦しいことだと思います。
そんな時にどんな決断を下すのかによって未来は大きく変わりますが、鈴木冬一選手は何を思っていたのでしょうか?
鈴木 冬一選手の自己分析と判断力は一流
出典:ゲキサカ
努力しても結果に結びつかず不安になっている時、自己流でやっていて限界を感じた時、一番良い方法はメンターに師事することだと思います。
自分の思考や世界観で同じ所をグルグルしているのなら、違った視点や世界観を取り入れて思考を変えれば結果が変わりますからね。
当時自分が技術面、精神面で劣っていると冷静に自己分析をした鈴木冬一選手はそれに気付き、メンターの元に行く判断をします。
鈴木冬一選手のメンターとは?
鈴木冬一選手が長崎に行った理由は、尊敬する小嶺忠敏先生がいたからだそうです。
小嶺忠敏先生はこれまで、島原商でインターハイ優勝1回、国見高でインターハイ優勝5回、選手権では6回の優勝を成し遂げてきました。
これは戦後最多タイの記録です。
2008年には長崎総合科学大附属の総監督に就任し、その後すぐに全国大会出場を達成します。
指導者になった教え子には
- 前橋育英の山田耕介監督
- ギラヴァンツ北九州の小林伸二監督
- 大宮アルディージャの高木琢也監督
といった方がいます。
昨年度に安藤瑞季選手をセレッソ大阪に送り出したのは記憶に新しく、日本代表経験も豊富なジュビロ磐田の大久保嘉人選手も小嶺忠敏先生の教え子です。
鈴木冬一選手の長崎での日々は?
元U-17日本代表、C大阪U-18という輝かしい看板を自ら捨てて長崎総合科学大附属高の小嶺忠敏先生の元へ行った鈴木冬一選手。
自分でも「明るいキャラ」と自己分析していますが、それを活かして周囲に積極的に話しかけたそうです。
高校生のサッカー部の中に元U-17日本代表でC大阪U-18だった人が入るわけですから、どうしても周囲は引いた目で見てしまいがちですからね。
積極的に話しかけることによって、壁がなくなるのは早まったでしょうね。
そして鈴木冬一選手は練習のも貪欲に取り組み、周囲に認めてもらうための努力を惜しまなかったと言います。
その様子を小嶺忠敏先生は
冬一はすぐにみんなの手本になってくれた。トレーニング、私生活も含めて、すべて自分から率先して行動をする。技術的にも優れた選手がしっかりと目標を持って、一切手を抜かずに努力する。それは周りが刺激されるのは当たり前。選手の鑑だね。“良い選手とはこういう姿勢なんだ”と思わせてくれた」
出典:NumberWeb
と語り厳しく指導し、その後間もなくキャプテンに任命したそうです。
鈴木冬一選手が語る長崎総合科学大附属高での日々
「僕が何をしたらチームが勝てるかとか、もっとチームのためにやるべきことがあるかどうかを優先的に考えるようになりました。自由だからこそ、逆に自覚とチームに対する犠牲心が生まれて、すごく新しい自分を見つけ出せた。本当に毎日が楽しかった」
「ボランチ、サイドバック、FWの役目もやらないといけない。そこにおいては本当に自分が成長できたと思います。これまではいろんなポジションをその都度やっていた。でも、ここではそれを全部ひっくるめてのプレーしないといけない。それをやり続けられたことで、殻を破れた気がします」
出典:NumberWeb
慣れ親しんだ環境、恵まれた設備を捨てて新天地で仕切り直した鈴木冬一選手、よりチームに貢献するために他のポジションでの経験も積んだ事は、今に活きていると思います。
これは社会人としても同じですよね。
例えば、営業部しか経験した事のない人は経理部の大変さはわからないでしょうし、係長の経験しかない人は社長の苦悩は分からないのと同じことが言えるでしょう。もちろん、逆もそうです。
つまり、他者の立場を経験してみて初めて見えてくるものや理解できることがあるという良い例だと思います。
そして鈴木冬一選手は小嶺忠敏先生や長崎総合科学大附属高でのことを、こう語っていました。
「小嶺先生は僕が一番感謝しないといけない存在だと思います。小嶺先生の下でメンタル、フィジカル、人間力の面で、まだまだではあるのですが、成長できたと思っています。本当にここに来て良かったと思いますし、決断した時の自分に“お前は良い決断をしたぞ”と言いたいです。この経験を無駄にしないためにも、次のプロというステップで力を発揮していく必要がある」
出典:NumberWeb
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U-20ワールドカップポーランド2019日本代表メンバーと試合日程
※随時更新中です
まとめ
鈴木冬一選手の記事を書きながら、私の頭の中にはずっとイチローさんの言葉がありました。
苦悩というものは前進したいって思いがあって、それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。
だから苦悩とは飛躍なんです
周囲を見て「俺はまだまだなんじゃないか?」「このままで良いのだろうか?」といった思いが出てきた時点で、「お前はもっと前に行けるよ」というサインなのかも知れませんね。
もちろ、そこでの自己分析や選択、その後の努力ありきの話ですが。
鈴木冬一選手にはその全てがあったから、今日があるのでしょう。
ますます応援したくなりました。
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